蔵珍窯(ぞうほうがま)
岐阜県の神社庁ご用達の窯元、蔵珍窯。
作家であり職人でもある主宰者 小泉蔵珍さんは、江戸時代から続く神官の12代目で、なんと敷地内には神社と工房のどちらもがあります。
なんといってもそのうつわの最たる特長は、実際に鳥居にも使われている弁柄(べんがら)の赤……一度は失われてしまった「まぼろしの弁柄」の鮮やかな赤。
人間国宝である加藤貞夫先生、五代目幸兵衛先生のもとで積んだ技術と知識をもとに、志野焼、織部焼といった「これぞ美濃焼!」というシリーズも製作しています。
安価な量産品ではなく、あまりに作品的な高価なものでもない、その中間をねらったものづくりという「第三の奔流」をテーマに、窯元として社内また社外にも職人を育て、その手仕事をいかした器づくり。
ちょっとほっこりするものからキリッと引き締まった線のものまで、「用の美」のうつわをぜひ手にお取りください。
マグカップ 鼠志野椿(そしのつばき)
■サイズ:約 横幅10.3cm × 高さ7cm
■容量:約 290cc
■重さ:およそ220g
■品名:陶器
□電子レンジ:〇 利用可
□食器洗浄機:〇 利用可
■装丁:トムソン箱
■製造:日本製 岐阜県多治見市
岐阜県の神社庁ご用達の窯元、蔵珍窯(ぞうほうがま)のマグカップです。
鉄釉のシックな黒さをベースに、釉薬をかけるところ、かけないところ、鉄分が変化した金属調のところ……と数種類の手法で描かれたツバキのうつわ。
眺めるほどに複雑な美しさが見つかる、美濃焼の良さが組み合わさったマグです。
手づくりの土のマグカップで頂く、格別の珈琲や紅茶をお楽しみください。
・椿(つばき)シリーズ
凛として清潔で、華やかさもある椿に魅せられ、うつわに椿の花を咲かせました。
日本が原種である椿は、古事記や万葉集にも描写され、長寿のしるし、縁起の良い花として古来より日本人にひろく愛されてきました。
蔵珍の象徴である弁柄(べんがら)や、新緑のような青に緑、磁器土そのままの白など、多彩な技術で完成する「眼福口福(がんぷくこうふく)」。
器を目で楽しみ、コーヒーやお茶、料理も楽しみながら長寿を願う、毎日の生活の賑わいにして頂ければ幸いでございます。
・椿によせて 長寿と器のこと
「上古大椿なるもの有り、八千歳を以て春と為し、八千歳を以て秋と為す」
(中國の古典「荘子」内篇・逍遥遊より)
上古時代の大椿という木は、なんと八千年を春とし、八千年を秋としていたそうです。
やがて後世には、この一節から「椿寿」という言葉が生まれ、人が長生きすること、長寿の象徴とされてきました。大樹ともなりますと花期も大変長く、晩秋から春まで延々と咲き続け、子孫をのこすために美しい実を結びます。
椿は冬になっても落葉しない生命力あふれる常緑樹です。
・複雑さを味わう - 美濃の土もの
織部(おりべ)といえば重く茂った夏の森のような青緑。
志野(しの)といえば乳白色の地に表面の貫入(ひび割れ)。
そのように、主に現在ではその色や姿のちがいを区別する呼称として使われていますが、もともとはこうした意匠を作り出した人物に由来している言葉です。
千利休(せんのりきゅう)の高弟として茶人であり、陶芸家でもあった武将の古田織部(ふるたおりべ)は、故郷である美濃国の豊かで深い森や原野の深緑を陶器に表現するために、酸化した銅の緑、つまり緑青(ろくしょう)を顔料として用いるという大胆な方法を編み出しました。
一方の志野は、現在も連綿と続く志野流香道の開祖である志野宗信(しのそうしん)が美濃国の職人に命じて作らせたものが始まりとされており、白土を焼くもの、赤土を焼くもの、そのふたつを練り合わせたもの、陶土が含んでいる鉄が変化することによって鼠志野(暗灰色)や赤志野(さびの赤)と呼ばれるものなど多種多様なバリエーションをもつ、まさに違いを楽しむための焼き物です。
そして、これら人名とはちがって地名が用いられているのが弥七田と黄瀬戸です。
弥七田(やしちだ)はかつて織部や志野を焼いていた窯の跡地の名であり、その作風は繊細さ、洗練、洒落た作風で知られています。
ひとくちに美濃の土もの(陶器)といっても、その裾野の広さときたら!
複雑な貫入に斑点、釉薬の溜まり、そこに反映する光や空の青さ……
どこまで目を凝らしても拾いきれない「ちがい / 複雑さ」の世界が、そこには無限に広がっているのです。
■主宰者 - 社家12代 小泉蔵珍
・魯山人(ろさんじん)へのあこがれ
私が魯山人にひかれたのは、彼が古陶器の目利きに優れており、料理にかけては第一人者であった事にはじまります。
自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器を自ら創作していたそうです。
そのため作品のほとんどが食器であり、彼の器によって料理は引き立ち、器はまた料理によって彩られ……。
彼が乾山に魅せられ創作に取り入れたように、私もまた魯山人の作品を創作に取り入れて励んでいます。
そうして長年のあいだに、ポップさと昔ながらの絵付けの融合、大人向けの柄で小ぶりなもの、子供向けの柄には転がりにくい工夫をと、ありとあらゆる形、柄のものができあがりました。
ひとつひとつ手でこね、絵付けをすることから生まれてきた作品性と、料理やごはんを盛ってこそ映えるうつわとしての実用性。
これからも料理を活かすための器づくりを目指して精進していきたいと思っています。
■プロフィール
江戸時代より続く社家(神官)の12代目として多治見に生まれ、岐阜県立陶磁器試験場工芸科研修生課程を修了し、幸兵衛窯にて修業。
5代目幸兵衛、加藤卓男(人間国宝)両先生に師事。
・陶磁器意匠展第1席 知事賞受賞
・昭和45年 現在地に蔵珍窯開窯
・昭和46年 陶磁器デザイン総合展 最高賞受賞
・昭和63年 工房「集楽窓」完成
・工房内に太平神社(陶の神と火の神を祀る)造営
・平成2年 熱海にあるMOA美術館より黄金天目茶碗と、重要文化財・仁清作金銀菱色絵重茶碗の本歌写しの制作を依頼され完成。東京・根津美術館の好意により、乾山絵替土器皿の本歌写しをする
・平成3年 名古屋MOAギャラリーにて個展
・平成5年 下呂・水明館・臨川閣「弥生の間」にて個展
・平成6年 岐阜県神社庁御用窯に指定される
・平成9年 子ども美術館を工房内に開館
・平成15年 工房内にある太平神社の社標・神門・玉垣を造営