蔵珍窯(ぞうほうがま)
岐阜県の神社庁ご用達の窯元、蔵珍窯。
作家であり職人でもある主宰者 小泉蔵珍さんは、江戸時代から続く神官の12代目で、なんと敷地内には神社と工房のどちらもがあります。
なんといってもそのうつわの最たる特長は、実際に鳥居にも使われている弁柄(べんがら)の赤……一度は失われてしまった「まぼろしの弁柄」の鮮やかな赤。
人間国宝である加藤貞夫先生、五代目幸兵衛先生のもとで積んだ技術と知識をもとに、志野焼、織部焼といった「これぞ美濃焼!」というシリーズも製作しています。
安価な量産品ではなく、あまりに作品的な高価なものでもない、その中間をねらったものづくりという「第三の奔流」をテーマに、窯元として社内また社外にも職人を育て、その手仕事をいかした器づくり。
ちょっとほっこりするものからキリッと引き締まった線のものまで、「用の美」のうつわをぜひ手にお取りください。
茶碗 中 鼡志野赤絵(そしのあかえ)
■サイズ:約 直径11.4cm × 高さ6cm
■容量:軽く一杯で250kcal
■重さ:およそ150g
■品名:陶器
□電子レンジ:× 純金使用のため不可
□食器洗浄機:△ おすすめ致しません
■装丁:トムソン箱
■製造:日本製 岐阜県多治見市
・大きさの目安
中サイズ :食べ盛りのキッズから大人の男性女性まで。ご飯一杯を盛ると200から250キロカロリー
岐阜県の神社庁ご用達の窯元、蔵珍窯(ぞうほうがま)のお茶わんです。
灰色・黒・濃いさび色まで、鉄分の変化によってつくりだす鼡志野(そしの)の地に、ベンガラの赤と金彩で絵付けをしたうつわ。
横から高台(足の部分)を眺めると、特に味わいのある色ムラがよくわかります。
・赤絵(あかえ)シリーズ
蔵珍を象徴する弁柄(べんがら)の美しい赤をつかって。
古代中国の明時代の末期に、呉州で焼かれていた赤絵が京都の茶人に愛され、日本人の好みに合わせて作られたのが呉須赤絵といわれています。
赤の濃淡と筆力が腕の見せ所であり、鳳凰(ほうおう)や牡丹(ぼたん)などの文様は、お祝いなどに喜ばれる大変おめでたい絵柄です。
流行りのものはいずれ廃れますが、歴史のなかに引き継がれ、生き残った意匠は廃れることを知りません。
自然色の土に描かれる、いまでもなお鮮やかな赤や緑をお楽しみください。
・複雑さを味わう - 美濃の土もの
織部(おりべ)といえば重く茂った夏の森のような青緑。
志野(しの)といえば乳白色の地に表面の貫入(ひび割れ)。
そのように、主に現在ではその色や姿のちがいを区別する呼称として使われていますが、もともとはこうした意匠を作り出した人物に由来している言葉です。
千利休(せんのりきゅう)の高弟として茶人であり、陶芸家でもあった武将の古田織部(ふるたおりべ)は、故郷である美濃国の豊かで深い森や原野の深緑を陶器に表現するために、酸化した銅の緑、つまり緑青(ろくしょう)を顔料として用いるという大胆な方法を編み出しました。
一方の志野は、現在も連綿と続く志野流香道の開祖である志野宗信(しのそうしん)が美濃国の職人に命じて作らせたものが始まりとされており、白土を焼くもの、赤土を焼くもの、そのふたつを練り合わせたもの、陶土が含んでいる鉄が変化することによって鼠志野(暗灰色)や赤志野(さびの赤)と呼ばれるものなど多種多様なバリエーションをもつ、まさに違いを楽しむための焼き物です。
そして、これら人名とはちがって地名が用いられているのが弥七田と黄瀬戸です。
弥七田(やしちだ)はかつて織部や志野を焼いていた窯の跡地の名であり、その作風は繊細さ、洗練、洒落た作風で知られています。
最後の黄瀬戸(きせと、きぜと)はうってかわって、黄色っぽい瀬戸物だから黄瀬戸という呼称といい、木の灰を酸化させて作り出すその黄色といい、なんとも素朴でナチュラルな雰囲気をもつ焼き物です。
……が、その素朴さゆえに、ねらった黄色や質感を出すのがこれまた難しいことでも知られています。
ひとくちに美濃の土もの(陶器)といっても、その裾野の広さときたら!
そのうえ、複雑な貫入に斑点、釉薬の溜まり、そこに反映する光や空の青さ……
どこまで目を凝らしても拾いきれない「ちがい / 複雑さ」の世界が、そこには無限に広がっているのです。
■主宰者 - 社家12代 小泉蔵珍
・魯山人(ろさんじん)へのあこがれ
私が魯山人にひかれたのは、彼が古陶器の目利きに優れており、料理にかけては第一人者であった事にはじまります。
自ら厨房に立ち料理を振舞う一方、使用する食器を自ら創作していたそうです。
そのため作品のほとんどが食器であり、彼の器によって料理は引き立ち、器はまた料理によって彩られ……。
彼が乾山に魅せられ創作に取り入れたように、私もまた魯山人の作品を創作に取り入れて励んでいます。
そうして長年のあいだに、ポップさと昔ながらの絵付けの融合、大人向けの柄で小ぶりなもの、子供向けの柄には転がりにくい工夫をと、ありとあらゆる形、柄のものができあがりました。
ひとつひとつ手でこね、絵付けをすることから生まれてきた作品性と、料理やごはんを盛ってこそ映えるうつわとしての実用性。
これからも料理を活かすための器づくりを目指して精進していきたいと思っています。
■プロフィール
江戸時代より続く社家(神官)の12代目として多治見に生まれ、岐阜県立陶磁器試験場工芸科研修生課程を修了し、幸兵衛窯にて修業。
5代目幸兵衛、加藤卓男(人間国宝)両先生に師事。
・陶磁器意匠展第1席 知事賞受賞
・昭和45年 現在地に蔵珍窯開窯
・昭和46年 陶磁器デザイン総合展 最高賞受賞
・昭和63年 工房「集楽窓」完成
・工房内に太平神社(陶の神と火の神を祀る)造営
・平成2年 熱海にあるMOA美術館より黄金天目茶碗と、重要文化財・仁清作金銀菱色絵重茶碗の本歌写しの制作を依頼され完成。東京・根津美術館の好意により、乾山絵替土器皿の本歌写しをする
・平成3年 名古屋MOAギャラリーにて個展
・平成5年 下呂・水明館・臨川閣「弥生の間」にて個展
・平成6年 岐阜県神社庁御用窯に指定される
・平成9年 子ども美術館を工房内に開館
・平成15年 工房内にある太平神社の社標・神門・玉垣を造営