近江手づくり和ろうそく - 大與(だいよ)
春夏秋冬の花をあしらった『絵ろうそく』。九州で採れるハゼの実から作る『櫨のろうそく』。
小指半分ほどの大きさ、小さな小さな『豆ろうそく』に、2011年にグッドデザイン賞を受賞した『お米のろうそく』。
大與さんは、初代の大西與一郎さんから現在の四代目 大西巧(さとし)さんまで、
かれこれ100年以上も和蝋燭のセンスと技術を伝え続けている老舗です。
1984年、滋賀県の伝統工芸品に指定、2010年には曹洞宗の大本山、永平寺の御用達として命じられました。
ところで大與さんは、それほどの由緒ある伝統工芸に携わりながら、
現状に甘んじて技術を保つだけに留まってはいません。
新しい原材料に目を向けたり、ろうそくに施す「色彩」によって季節を表現する試み、
デザイナーさんとの共同でパッケージの革新を推し進めたり……。
ほっこり暖かくて、そこはかとなくモダン。
灯した火がすうっと立ち上がる瞬間、少しだけ周りが「しん」となる感覚や、
それがやがて「じーん」に変わる、したたかに呼吸するかのような火の質はそのままに。
和ろうそくと洋ろうそくの違い
上の写真は「手掛け」と「色つけ」という工程です。
和紙の上にい草の随を巻き、真綿で留めて作る、ろうそくの灯心。
その灯芯に溶かした櫨蝋を手で塗りこめ、乾かし、そしてまた塗って……
その下掛けで土台ができあがると、次はさらに純度の高い櫨蝋を塗って、また乾かして……
一人前の和ろうそくの職人になるには、10年はかかるそうです。
なにぶん常温では固まってしまう櫨蝋が相手ですから、鍋の状態、その日の気温や湿度はもちろん、
自分自身の心の状態によっても、一度に手掛けできる本数や出来栄えが変わってきてしまうとのこと。
そうしたあらゆる変化を含めて、10回季節の移ろいを経験すれば、同じ品質のものを作れる……
と、そんな気の遠くなるような修練が必要なのは、扱いが難しく、
だからこそ手づくりする必要のある、100%植物の油を用いた「和ろうそく」の場合だけ。
一方、一般に量販されているロウソクは石油、つまり動物性の油が原料であり、 ヨーロッパを起源とするこちらは「洋ろうそく」と呼ばれています。
例えば包装は和紙、仏花柄がプリントしてあり、お値段が張って、
仏具屋さんで売っていたとしても、石油から作られていればそれは「和風の洋ろうそく」。
アロマキャンドルやカップキャンドルなども、すべて洋ろうそくです。
石油をもとにつくられるパラフィンを型に流し込んで固め、ぶつ切りにして作るものですから、
原料費がとても安く、機械で量産できるというメリットがあります。
一方で弱点は……この項をご覧になっている方でしたら、すでにご存知かもしれません。
芯の糸は細く、ライターの火と同じように風に弱いこと。元が石油なので黒煙が多いこと。
数本をしばらく点けていると、油煙でお部屋が少しベタつくあの感じ……。
そして何よりも、なんだか無機質な火の表情。
とはいえ、量産・大量供給できるからこその低価格。
パラフィンは非常に安定した化合物なので、型入れや香りづけもしやすく、
おしゃれで使いやすい、すてきな製品を作っているメーカーさんもいらっしゃいます。
お米の蝋燭に、作家さんの燭台も
さて、100%植物性といえば……上記の伝統的な櫨に加えて、さすがはお米の国(滋賀県はお米の名産地でもあります。特に『みずかがみ』は泣ける美味しさ!)で四代続くお店さん、お米の糠(ぬか)からも和ろうそくを作っていらっしゃいます。
1990年台に起きた長崎県雲仙普賢岳の大噴火の影響で供給が難しくなった櫨の実に代わり、米ぬかの蝋分を利用することで生まれた、比較的新しい和ろうそくです。
光の力強さや奥深さは櫨蝋には及びませんが、ほぼ無煙で蝋涙(ロウの垂れ)もほとんどなく、燃焼時間がより長いという優れものです。櫨よりも色つけがしやすい特性に着目して、ずらっと並べると虹色になる色ろうそく、新月の夜や宇宙をイメージした真っ黒なろうそくといった、まるで色鉛筆やクレヨンのような楽しい品々を展開しています。
そしてもちろん、ろうそくといえば専用の火立て。作家さんが手づくりする燭台、デザイナーさん考案の逆さまにしても使える木の火立てなど、和ろうそくの質感をそっと引き立てるロウソク立て作りにも力を入れています。
「 hitohito — 火と人 」
大與さんのブランドコンセプト「hitohito(ひとひと)」は、現代の人たちにとっての火の在り方を、ひとりの作り手として模索していこうという志を示しています。
人としての分を超えて受け取ったり、いい加減に取り扱ったりすると、途端に危険な力へと変わってしまう「火」。
キッチンを除けば裸のままの火は、昭和時代の刃物追放運動に見たように、日常にあったはずの場所から気付かないほどにゆっくり、それでも確実に姿を消しつつあります。
その昔、火という漢字がひとつに統一される以前には、火を表す漢字は「丙(ひのえ)」と「丁(ひのと)」の二つがあり、火の表裏一体の本質を分かつ兄弟としてみなされていたそうです。
前者の丙(ひのえ)は兄にあたり、気性の荒い、自然界の現象としての燃えさかる火。
もう一人の丁(ひのと)は弟———人の手元でそっと扱えて、安心と便利を与えてくれる小さな火。
危ないから遠ざけてしまおう……それでは控えめな丁(ひのと)が与えてくれる、滲むような豊かさや郷愁は、いったいどこへ?
人目をひく兄と区別もされないまま、いつかは人間の居場所から完全に追い出されてしまうのでしょうか。
もういちど、丁(ひのと)の字に込められた知恵と豊かさを、人の手元に。
魅力的なもの作りを通じて、小さな火を一つ一つ灯してゆく、作り手としての真っ向勝負。
大與さんが熱い想いを込めて送る、美しい和ろうそくをご覧下さい。